娘は、乳児湿疹がひどく、頬っぺたは赤くただれていました。
保湿しても治らず成長と共に手や足や背中も赤くなり痒がって夜も寝れない程でした。
3歳でアトピーと診断され、間もなくして喘息になりました。
始めは町のお医者さんに診てもらっていましたが、一向に治らず発作のたびに点滴になるので、こんなに小さな子にステロイドの点滴大丈夫かな?といつも思ってました。
5歳の時、喘息の大きな発作が出て救急車を呼びました。
息が出来なくなるほどの発作でした。
救急車で運ばれた病院が、呼吸器専門の大きな病院でした。
即入院になりました。
2週間の入院したのですが、呼吸器の専門だけあり治療方法や退院してからの生活など教えていただき安心しました。
退院してからは、毎日の吸引とお薬、一カ月に一度、呼吸器専門の病院に通う生活になりました。
病院に行く時は、保育園を休んで行ってました。
小学校に入ってからも月に一度学校を休んで病院に連れて行ってました。
月に一度、学校を休んで病院へ通う生活をずっと続けていると、私は人と違う、病気で弱いと思うようになったのだと思います。
小学校に入学して3日後に大きな喘息の発作が出て入院になりました。
その時は、今までで一番ひどく3カ月入院しました。
学校も院内学校に転校しました。
そんな事もあり、より人より弱いという思いが強まったのかも知れません。
小学5年生までに大きな発作が出て4回入院しています。
小学6年生からは、喘息のコントロールも安定し小さな発作や大きな発作も出なくなってきました。
身体は、成長と共に丈夫になってきました。
アトピーの方も季節によってはひどい時もありますが、ステロイドと保湿で何とか落ち着いていました。
学校は、小学3年の3学期頃から休みがちになり小学4年の3学期から全く行けなくなりました。
学校に行けなくて追い詰められた娘は、突然病院に入院したいと言いだしました。
入院して院内学校に行くと言うのです。
訳を聞いてみると院内学校なら学校に行ける様になるかも知れないと言うのです。
入院しないといけない程の病状ではないのに入院したいなんて、相当追い詰められていると思いました。
学校に行けない自分を責めて追い詰めていたんだと思いました。
それは、私のせいでもありました。
学校の話は、なるべくしてないつもりでしたが、話の最後につい学校の事を言ってました。
何気ない会話の後に「じゃー先生に聞いてみようか?」とか「お友達は、何してるかな?」など言ってました。
私にとって何気ない言葉も娘にしたら追い詰められてる様に感じていたと思います。
今考えると私の言葉は、矢が刺さった様に鋭く心を傷つけ追い込んでいったのだと思います。
私は、娘には居場所がないんだと見当違いの事を考えていました。
居場所は、家にあるはずが、私に追い詰められていた娘は、必死に訴えていたのに気付きませんでした。
5年生の終わりに学校に居場所がないなら転校を考えようと思いました。
娘に相談すると、転校したいと言います。
すぐに学校と相談し6年生から違う少人数の学校に越境することにしました。
転校した学校には、卒業までの一年間でトータル6日位行きました。
転校したからって学校に行けるわけないんです。
全くの見当違いの私は、その時は気付きませんでした。
一番大切なことは、家に居場所を作ることと、心の元気を取り戻すことです。
そのことが分かるのは、中学校に入ってからです。
娘が反抗期を迎え、ちゃんと言葉で反論してくるようになり、やっと分かりました。
本当の意味での居場所とは、心の元気を取り戻すって事を理解できました。
私も成長出来ました。
娘に感謝と申し訳ない気持ちでいます。


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